皆既中
ご覧になった人も多いと思いますが、撮影しました。
ちょっとピントが甘い。
昭和残照伝 〜なんたって18歳〜
ネタは前回のを引きずる。例のアレである。公開後なかなか評判はよろしいようで、ものすごく気になっている。(だったら、観に行けよ!)
観客の中でも元のアニメを知っている人たちにはやはり賛否があるようで、改めてリメイクの難しさを感じる。
「気になっている」点の一つがメインキャラクターの年齢設定と実写版の俳優陣の実年齢のギャップなのだ。特に中心となる3人、戦闘班長、航海班長、生活班長(今回の実写版ではエースパイロット)はアニメの中での設定は18歳でいずれも「宇宙戦士訓練学校」を卒業したばかりという設定であった。
それこそ、地球の危機に際して、根こそぎ動員した感じがアニメ版ではあったのだが、実写版ではそこそこのリアリティーのある俳優陣であり、実年齢である。やはり、どう考えても、18歳の言わば「高校を出たばかり」の人間に現場の指揮、監督を任せるという判断は今ではほぼ「無い」であろう。
思えば「18歳」という年齢、またその年齢の人物にかける「期待値」がそもそも違ってきているのだろう。昭和40年代当時の大人達は「18歳」に、半熟とはいえ「大人の役割」を期待し、当人達もそのような覚悟を持つのが当たり前であったのであろう。当時の製作スタッフもそのような価値観を背景にしているから、「18歳」で現場の指揮権を持たせる設定は必然だったかもしれない。
(当時の製作スタッフ上層部の平均年齢はおそらく40代から50代前半であったろう。この年代は明らかに戦争の影をひきずっている。直接戦場には行っていなくても、別の角度で戦時を体験したはずである。早く一人前になることが求められ、それこそが生き残るためには必要だっただろう。)
逆に言えば、現代ではそのような「期待値」ももはや比較にならないほど低くなってしまっているのだろう。(我々の18歳時代もそうえらそうに言えたものではないが。)陳腐な言い方だが、それだけ豊かになったということであろう。
芸能界的事情を抜きにしても、現代で同じ年齢層の俳優でリメイクしても共感は得られないのであろう。(何か学芸会のようになるのではないか。)
今回の実写版であまり違和感のない配役は工場長と機関長、あとは戦闘班長の兄ぐらいか…(艦長は微妙だ)
(タイトルで「高木飛鳥」や「青山はるか(青木まどか)」の話を期待された方がいれば申し訳ない。いずれまたの機会に。)
そういえば「先の大戦」の開戦日から69年目なのだった。
昭和残照伝 〜さらば地球よ 〜
このタイトルの後には言うまでもなく、「旅立つふねは…」と続く。間もなく、「実写版」が公開される、例のアレである。正直いって、とても気になる。気にはなるが、さりとて…という心境である。
予告編等を見ても、出来は良さそうである、でも… いったいこの心境は何なのか。
初回放映は昭和49年10月。当時、茶の間の多くでは「アルプスの少女ハイジ」が見られていたはずである。そんな中、勧善懲悪のロボット物に少々飽きていた小学生が(結果的に)毎週日曜日午後7時30分を半年間楽しみにしていたのだった。
製作者側の思惑通りの視聴率が稼げず、当初の予定を半分に縮める結果になったが、再放送をきっかけに評価されるのが昭和52年。以来、テレビ、映画を含めて昭和58年の「完結編」まで製作が続けられた。(欠かさずずっと観てきたのだ。)
今、思うとたった7年間であったが、この間に「テレビまんが」、「まんが映画」が「アニメ」となり、様々な関連グッズの販売とメディアミックスによる広告、宣伝戦略、漫画家本人ではなく、製作者、アニメーターのクローズアップなどが当たり前になったわけだ。(「設定資料」「原案」など製作過程にも関心が向けられるように「仕向けられた」。)
当時としては画期的、斬新な動きであったと言える。
でも30年近く経過した今、なぜ…と感じてしまう。
(アニメを実写化する違和感だけではないと思うが)
そんな中、企画、原案、製作総指揮であった西崎氏の訃報が伝えられた。毀誉褒貶の多い人であったが、彼の創った作品がない少年期を想像できない。
氏のご冥福を祈ります。
昭和残照伝 〜あらためて「昭和40年」について〜
「残照」とは「日が沈んでからもなお、空に残っている光」だそうだ。
初めて買ってもらった誕生日のプレゼントで覚えているものは一枚のレコード。
皆川おさむの「黒猫のタンゴ」であった。(調べてみると昭和44年10月5日発売だったらしい。)親はこのときに「レコードプレイヤー」を「月賦」で買ったようなのである。このレコードは良く聴いた。しかし、どちらかと言えばB面の「ニッキ・ニャッキ」のほうが好きであった。(レコードも、プレイヤーも50年代の初め頃にはまだ残っていたような気がする。)
この間の飲み会の後、ふと「昭和40年」(生まれ)について考えてみた。(あくまで「昭和40年」である。1965年ではない。)昭和40年生まれは、「東京オリンピック」は知らないが、「大阪万博」は知っている。(この事実はしばしば少し上の世代には理解してもらえない。)
「ガメラ」は「昭和40年」に登場した。「ウルトラマン」や「仮面ライダー」は我々よりも「年下」だ。「鉄腕アトム」から始まる「テレビ漫画」はようやく黎明期を脱した頃、だと言えようか。(「ヤマト」や「ガンダム」など、ずっと後の話である。)
小学生の時には春、夏、冬の休みの前には校門前に立つ「おっちゃん」に群がった。その「おっちゃん」が映画の割引券を配っているからである。「東宝チャンピオンまつり」、「東映まんがまつり」。一枚の割引券で5人有効なのでほとんどの児童が1枚で用が足りたはずだが、我先に5枚も10枚も手に入れるのが常であった。「オイルショック」のあおりで「紙不足」が叫ばれたとき、教室では返却されたプリントの裏に定規で罫線を書かされ、そこに漢字練習をするのが常であった。天気のよい日でも運動場へ出られないことがあった。「光化学スモッグ」のせいである。
「昭和40年」という年は、昭和を三分すると、最後の三分の一の始点にあたる、といえる。最初の三分の一は戦争から敗戦、中期の三分の一は戦後復興から高度経済成長の時代、そして、昭和40年からの時代というのは高度成長の余慶をひきづりつつ、安定成長、そして戦後の様々な矛盾が顕在化してくる期間であった。
現在、昭和で換算すれば85年。昭和が終わって20年以上が過ぎた。もう、そろそろ、一つの時代を冷静に振り返ることが出来るかもしれない、と思いつつ、「残照」を探してみたい。
(気が向けば)続けます。
*タイトルの「昭和残照伝」はもちろん、映画の「昭和残侠伝」(高倉健 主演)からのもじりである。ちなみにこの映画、公開日は45年前の今日、昭和40年10月1日であった。
変化?
総選挙は大方の予想どおりの結果に終わった。
気になるのは、選挙期間中のマスメディアの「幸福実現党」に対する扱いが不当とも思えるほどの軽さであったことではなく、選挙の争点などは有権者が自ら判断すれぼよいのに、連日報道で「政権選択が争点です」などと垂れ流しされていたことでもない。
開票結果が分かってからの各ニュース番組のキャスター、コメンテーター等がほとんど例外なく上機嫌に見えるのだ。新与党に「好意的」とも言えるコメント、論評の連発はいかがなものか。(マスメディアも有権者に勝るとも劣らず鬱屈していたのか)
建前上は「不偏不党」であるはずのマスメディアがそんなことでいいのか。(あまり良くないと思うけど。あるいはそんな建前を止めて、政党や団体を支持する、しないをはっきり言明するほうが良いのではないか。)
まあ、「政権交代」という民主国家では当たり前であるはずのことが、(ほぼ)初めてで、どう対応してよいかわからないのだと思うが。
こんなことが当たり前に起こりうる、ということに馴れるまでどれぐらいかかるのだろうか。
一つの流れができると前後を考えずにその流れに乗っかってしまう、この「性根」を変えたほうが良いように思う。
(それにしても、「インディーズ候補」(by 大川興業 大川総裁)が少なくなって、政見放送や選挙公約が面白くなくなったのは残念だ。羽柴秀吉氏はどうしたのであろうか。)
