変化?
総選挙は大方の予想どおりの結果に終わった。
気になるのは、選挙期間中のマスメディアの「幸福実現党」に対する扱いが不当とも思えるほどの軽さであったことではなく、選挙の争点などは有権者が自ら判断すれぼよいのに、連日報道で「政権選択が争点です」などと垂れ流しされていたことでもない。
開票結果が分かってからの各ニュース番組のキャスター、コメンテーター等がほとんど例外なく上機嫌に見えるのだ。新与党に「好意的」とも言えるコメント、論評の連発はいかがなものか。(マスメディアも有権者に勝るとも劣らず鬱屈していたのか)
建前上は「不偏不党」であるはずのマスメディアがそんなことでいいのか。(あまり良くないと思うけど。あるいはそんな建前を止めて、政党や団体を支持する、しないをはっきり言明するほうが良いのではないか。)
まあ、「政権交代」という民主国家では当たり前であるはずのことが、(ほぼ)初めてで、どう対応してよいかわからないのだと思うが。
こんなことが当たり前に起こりうる、ということに馴れるまでどれぐらいかかるのだろうか。
一つの流れができると前後を考えずにその流れに乗っかってしまう、この「性根」を変えたほうが良いように思う。
(それにしても、「インディーズ候補」(by 大川興業 大川総裁)が少なくなって、政見放送や選挙公約が面白くなくなったのは残念だ。羽柴秀吉氏はどうしたのであろうか。)
第一四半期終了
早いもので今年も四分の一が終わった。一月に何があったのかもはや思い出すのも難しい。
一月
元日に起きると風邪気味。以後しばらく外出を控える。センター試験は例年の如し。リスニングを巡るバタバタもその報道も例の如し。いささかうんざりする。昨年も書いたが、資金と労力の浪費であることがなぜわからぬのだろうか。
二月
成績処理。全員合格としたいが、及第点に達しない者数名。例年の如し。中旬には例年、少し時間ができるので温泉地にスキーへ同僚と出かける。今回は初日で転倒、膝の靭帯を損傷する。現地で診察の後、予定を変更し仲間を残して一人で帰神。(不合格になった学生の恨みか?そんなはずはない、彼らはまだ成績を知らぬのだから)以後、足の動きがままならず、通勤に難渋する。
三月
8年来の戦友(同僚)が職場を変わる事になり、路面電車を一両貸し切りで送別会。参加者(教員、学生)全員、飲み物(酒)、食べ物を持参で盛り上がる。無理を言って、制服を貸してもらう。写真撮影。みんなコスプレ好きであることがわかる。初めての車両基地、運転台に少々興奮気味。毎年6月に路面電車のイベントがあるらしい。一度行ってみるか。卒業式も無事終了。卒業生諸君の前途を祝す。
21年来毎年聴いていたラジオ番組がなんの前触れもなく強制終了させられる。
(正確には3月末で終了予定であったものが、第1週の放送で予告なく終了。)何の説明もなし。放送局の態度に納得いかず、憤慨。そういえば、ここしばらくの大手メディアの姿勢には多いに疑問を感じる。いつか来た道をもう一度たどっているのではないか。
40年来(らしい)の悲願であった(らしい)阪神西九条、難波間の延伸線「阪神なんば線」が開通。初日に乗りに行くほどの物好きではないが、同僚には疑われる。(行ってないのだが)初乗りは1週間後、阪神三宮に近鉄の車両が停まっているのは不思議な感じ。(阪神電車の駅はホームが近鉄車両のフル編成(10両)に対応していないのが残念)その横を山陽電車の車両が通過していく。乗り換えが少なくなるのは歓迎だが、JR新快速を利用する場合のほうがtime savingである。(恐るべし新快速)近鉄電車は頻繁にダイヤの乱れが生じるので、影響が阪神電車に及ばないことを望む。
四月
あっという間に入学式を迎える事になる。授業は8日から。あまり明るい話題はないのだが、新入生諸君にとって良き日々となるよう願う。(本当です。)
通常モードへ、その他覚え書き
先週から授業が再開されようやく通常モードへ。学生諸君には「夏期休暇」があるが、教職員には「授業のない期間」があるだけである。
8月
7月末の気象警報による休講のあおりを受けて、授業期間が1週間伸びる。補講をせねばならぬ。学生諸君の怨嗟の声。こういうのをコンプライアンスというのだろう。しかたない。成績処理等お盆近くまでかかる。盆期間は基本的に出校はなし。後半はオープンキャンパス。学生スタッフも献身的な協力のおかげで来訪者数は前年比40%増。受験者増にどうつながるか。ペーパーワークを可能な限り前倒しして空いた時間に文献渉猟。
9月
機会を得てドイツへ。親子旅行に同行。ほぼ10年ぶりの海外旅行で、いろいろなことを忘れていたり、うっかりしていることに気づかされる。サーチャージが馬鹿にならないが、この機会を逃すとしばらく渡航は無理であっただろう。ミュンヘン、フランクフルト、ベルリンを10日間。旅行期間中も職場からのメールは容赦ない。即応すべきもののみ対応。(この時の様子はまたいずれ)帰ってきたら、まだ暑い。通常通りの会議、会議... 授業の準備をしていたらもう授業再開。
後半は学校行事が多く、落ち着かない日々が続くことになる。学生の中にはもう春休みのカウントダウンを始めているものもいる。まあ、気持ちはわかるが...
按摩と女 = 山のあなた 徳市の恋
表題の映画(旧作タイトル=新作タイトル)を見てきた。前回、映画館に足を運んだのは「年」単位で前のことだ。
70年ぶりにリメイクされたこの映画、なぜ今の時期にリメイクされたのか知らないが、台詞まわし、カメラワークを含めてほぼ完全にオリジナル作品の「コピー」であった。
ある山間の温泉地に歩いて向かう按摩の徳市と福市の二人。彼らは「目明き」を追い越すのが何よりも楽しみだ。途中で追い越された馬車の中にある女性を見つける(実際には気配を感じる)。着いて早速、徳市はその女性の相手をするが、何となく気にかかる。東京から来たというその女性、なぜこんな温泉地にいるのか、いつまでいるのか、とにかく気になる。そのうち宿屋荒らしが温泉場で発生、徳市はある疑念を抱きつつ、自分の思いに苦悩する。
「恋」は旧字体で「戀」と書く。「いとしい、いとしい、というこころ」と書けば良い、とどこかで聞いた事がある。「気になる」、「気にかかる」という気持ちは行き着くところは「いとしい」ということなのだろう。
徳市の女性に対するどうにもならない気持ち、ある種の健気な気持ちが十分伝わる佳作だと思う。
その人は隣の女子大の1年先輩であった。あるサークルに入ろうかどうか迷っていたある日、たまり場でその人がいるのを見た。その場で入る事を承諾し、その日から苦しいまた楽しい日々が始まった。
そのサークルでは公式、非公式を含めてほぼ月1回の合宿があり、毎回参加した。その人は毎回来る訳ではなかったが、参加したときには当然うれしかった。行き帰りが車になることも多く、同乗できた時には天にも昇る気持ちであった。
そのうち、男の先輩連に自分の気持ちが知れるところとなり、冷やかされながらも気持ちが冷めることはなかった。同期には女子学生しかいなかったのだが、彼女たちにも励まされつつ、日々が過ぎて行った。当時、自分の気持ちをどう伝えてよいかわからなかったのだ。
とにかく、その人が行くところへは自分も行き、興味がありそうなことは情報を集め(今、思い返すと「ご苦労さんなこった」という感じである)、まあ、なんとか気を引こうとしていたのが、赤面ものである。
そして、その人が卒業を控えた時期、追い出しコンパも終わりにさしかかり、その人が帰路についた。しばらくして、後を追っている自分がいた。駅でしばらく話をして…見事、玉と砕けた。3年間よく頑張りました。
その夜は男の先輩の下宿に泊めてもらった。何を話したか覚えていない。酒が飲めた訳ではないので、クダを巻くこともなかったのだと思うが。
このことはかなり後まで(「年」単位で)尾を曳いた。何だか臆病になった。後悔もしていないが。「戀」は実らぬものである事を悟ったのだ。
こんなことを思い出させる映画であった。
センター試験の憂鬱
脱力も息抜きもできぬ話しで申し訳ない。
1月19,20日と「大学入試センター試験」(以下、センター試験 と表記)が行われ、約54万人の受験生が長丁場に臨んだ。受験生諸君には今後の二次試験や各私大の入試をがんばっていただきたくエールをおくるものである。しかし、毎年行われる、ある種のヒステリックな報道には現場の関係者として苦言を呈しておきたい。
憂鬱の種は「リスニングテスト」である。
報道では必ず「リスニングテスト 今年もトラブル」とか「ICプレイヤーまた不具合」とか伝えられる。
3年前にICプレーヤーによるリスニングテストが始まって以来、毎年行われる不毛な報道の一断片である。現場の監督者のミスや操作上の手違いで予定通りテストが実施できない例も散見されるわけだが(このような場合には救済措置がある)、それにも増して強調されるのは「機械の不具合」である。
テストであるから、正常に動作するものを求められるのは理解できる。まして税金が投入されているわけであるから。しかしながら、報道する側にあえて問いたいのは、50万台近くの工業製品がある日、ある時間帯に日本全国で全く正常に何の問題もなく動作する、と本気で思っておられるのだろうか、ということである。
今回、機械の不具合として申し出のあったのは442台だそうだ。これらが全て本当に不良品であるかどうかは今後の調査を待たねばならないが、50万台中の約500台としても不良品率0.1%である!(実際にはもっと小さくなるはずである)こんなに優秀な機械はないのではなかろうか。
この50万台のICプレーヤーは記憶媒体(メモリースティック)とともに持ち帰ることが許されている。しかし、他には何の使い道もない。また、大学には実際に使用される数より多めに配布されるのであるが、これらも、次年度のセンター試験監督に関する説明会で使われるものを除けば、倉庫などに眠ったままになる。基本的には使い捨てである。エコロジーに敏感な人々はこのような事態をどうお考えであろうか。
リスニングテストを導入したことで高校生の英語力が高まった、という話しは寡聞にして聞かない。導入した意味が果たしてあるのだろうか。
このような観点からの報道も是非していただきたいものである。
(ついでに監督者の緊張と気苦労は半端ではないことを知ってもらえると有り難い)
