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2010年10月01日

昭和残照伝 〜あらためて「昭和40年」について〜

「残照」とは「日が沈んでからもなお、空に残っている光」だそうだ。

初めて買ってもらった誕生日のプレゼントで覚えているものは一枚のレコード。
皆川おさむの「黒猫のタンゴ」であった。(調べてみると昭和44年10月5日発売だったらしい。)親はこのときに「レコードプレイヤー」を「月賦」で買ったようなのである。このレコードは良く聴いた。しかし、どちらかと言えばB面の「ニッキ・ニャッキ」のほうが好きであった。(レコードも、プレイヤーも50年代の初め頃にはまだ残っていたような気がする。)

この間の飲み会の後、ふと「昭和40年」(生まれ)について考えてみた。(あくまで「昭和40年」である。1965年ではない。)昭和40年生まれは、「東京オリンピック」は知らないが、「大阪万博」は知っている。(この事実はしばしば少し上の世代には理解してもらえない。)

「ガメラ」は「昭和40年」に登場した。「ウルトラマン」や「仮面ライダー」は我々よりも「年下」だ。「鉄腕アトム」から始まる「テレビ漫画」はようやく黎明期を脱した頃、だと言えようか。(「ヤマト」や「ガンダム」など、ずっと後の話である。)

小学生の時には春、夏、冬の休みの前には校門前に立つ「おっちゃん」に群がった。その「おっちゃん」が映画の割引券を配っているからである。「東宝チャンピオンまつり」、「東映まんがまつり」。一枚の割引券で5人有効なのでほとんどの児童が1枚で用が足りたはずだが、我先に5枚も10枚も手に入れるのが常であった。「オイルショック」のあおりで「紙不足」が叫ばれたとき、教室では返却されたプリントの裏に定規で罫線を書かされ、そこに漢字練習をするのが常であった。天気のよい日でも運動場へ出られないことがあった。「光化学スモッグ」のせいである。

「昭和40年」という年は、昭和を三分すると、最後の三分の一の始点にあたる、といえる。最初の三分の一は戦争から敗戦、中期の三分の一は戦後復興から高度経済成長の時代、そして、昭和40年からの時代というのは高度成長の余慶をひきづりつつ、安定成長、そして戦後の様々な矛盾が顕在化してくる期間であった。

現在、昭和で換算すれば85年。昭和が終わって20年以上が過ぎた。もう、そろそろ、一つの時代を冷静に振り返ることが出来るかもしれない、と思いつつ、「残照」を探してみたい。

(気が向けば)続けます。

*タイトルの「昭和残照伝」はもちろん、映画の「昭和残侠伝」(高倉健 主演)からのもじりである。ちなみにこの映画、公開日は45年前の今日、昭和40年10月1日であった。

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コメント (3)

チロルチョコ10円で3つ分あったよね。

チロルチョコの中のヌガー(?)が嫌いでした。
給食のパンも鯨のオーロラ煮も嫌いでした…。
あっ、学校が嫌いでした。

ワラスはマルカワのフィリックスガムでした。だから虫歯だらけやねん。

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