2008年03月21日
ハルキ再読
先日、出張先で「100%の女の子」に会った話を書いた。
その娘を見た瞬間、昔読んだ村上春樹の「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて 」という短編小説の印象が甦ったからだ。
でも、その詳細については思い出せなかった。
無理もない。
もう10年以上も前に読んだ短編だ。
思い出せないというのも心地悪いので、改めて読んでみた。
「カンガルー日和」という短編集である。
私に村上春樹を教えてくれたのは、先輩のQ氏である。
彼は、好きな女の子と共通の話題をつくる為に、その娘が好きだった村上春樹を読み始めた。
男子としては、誠に全うな動機である。
そして、彼女と仲良くなれる可能性が極めてゼロに近づいた時、村上春樹を読むのをやめた。
これも、至極全うな理由である。
もう読まれる理由を失った、村上春樹の文庫たちを、私が引き受けて読み始めたのである。
Q氏から譲り受けた本を読みつくした後も、文庫の新刊が出るとつい買って読んでしまう。
地下鉄サリン事件を扱ったもの意外は、だいたい読んでいるのではないかと思う。
改めて読んだ村上春樹ワールドの「僕」や「彼女」は相変わらず礼儀正しく、空々しかった。
そして、全体に漂う閉塞感も相変わらずだった。
「どこにも辿り着けない閉塞感」
私は、この閉塞感を求めて「村上春樹」を読み続けているのかもしれない。
図書館の地下室や、涸れてしまった古井戸の底、シティーホテルのフロアの隙間にあるかもしれない羊男の部屋。
生活のどこかに探し続けているのかもしれない。
担当/でも閉所恐怖症なARIO

コメント (1)
まあ、オッサン同士で閉塞感深め合いに
立ち飲みでもいきましょか。
コップ酒で夜桜でも可。
投稿者:しゃ、ちょう | 2008年03月25日 17:14