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2007年12月11日

『椿三十郎』を見た。

織田裕二主演、森田義光監督の『椿三十郎』を見て来た。

45年前に作られた三船敏郎主演、黒澤明監督作品の完全リメイク作品だ。

ちなみに僕は、黒澤版『椿三十郎』をテレビやビデオで2〜3回は見ている。

が、果たして、今の映画を見る人のうちどれぐらいの人が、

黒澤版『椿』を見ているのだろう。

そして、果たして、黒澤版『椿』を見た人のうちどれぐらいが、

あの名作に打ち震えたのだろう。

森田版『椿三十郎』は、それによって評価がガラリと変わってしまう、

とても微妙なラインに立った映画だと思った。



黒澤版の呪縛に囚われていない人から見れば、これは一級のエンタテインメントであり、現代の邦画ファンに、“時代劇”の魅力を改めて吹き込むような映画になっている。

僕は、オープニングシーンの、スクリーンの端から端までをたっぷり使った、まさに映画的な画面構成に見とれて、ふっと作品に入り込んでしまった。

作中も、森田義光監督らしい小技が見られて、実に楽しかった。



が、しかし、僕はついつい、いちいち45年前の黒澤版と比べてしまったのだ。

そうすると、もう、今回の作品は魅力がガクンと落ちてしまう。



45年前の三船敏郎が、どれだけ凄みと存在感のあるスターであったか、

45年前の仲代達矢が、どれだけ切れ味の鋭いシャープな俳優であったか。

織田裕二と豊川悦司の演技を見ていると、そういうことに意識が向いてしまった。

また、ラストシーンの違いも黒澤の凄さを強調することになってしまっていた。

この映画は、数ある黒澤映画の中では、物語が淡々と進む作品だ。

それは、あの世界の映画史上に残るラストシーンに結びつけるためだけに存在する、説明の積み重ねのようにさえ思えるくらい、巧妙に練られてはいるが、軽くて、わかりやすい。

黒澤版のラストシーンは、それまでの物語の展開の面白さを、すべて無にしてしまうぐらいの、言葉を不要とする圧倒的なパワーとリアリティで、見る者の度肝を抜くようなものであった。

僕は、あの黒澤版のラストシーンは、その数分間だけを切り取っても、十分に見応えのある“映像芸術”だと思っている。

しかし、森田監督は、あのラストシーンに、本編と同様の“理屈”を持ち込んでしまった。

それによって、最後のシーンが、映画の一部になってしまったのである。

僕は、最後の最後に、拍子抜けしてしまった。

いや、拍子抜けすることは予測がついていたのだが、

なんだか、予測していた以上に、残念な気持ちになってしまったのだ。



が、僕がどういう感想を持ったとしても、森田版『椿三十郎』は、十分に面白い時代劇だ。

黒澤映画を知らず、時代劇といえば山田洋次の藤沢周平三部作ぐらいしか知らない映画ファンにとっては、“時代劇”というジャンルに興味を持ってもらえる映画になっていると思う。



この映画を見て、角川春樹は、次は井筒和幸に“時代劇”を撮らせればいいのに…

と、思った。

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コメント (2)

でもねえ、

パッチギ2、観たのですが、

戦争シーンのCGを使ってるのを思い出すと、

血しぶきってものはなんか違わないかい?と言いたくなるんです。

余談ですが、椿ラストシーンの血しぶきは、

技術のヒトがポンプの設定を間違えて倍にしちゃったのを、

監督が採用した、という説を聞いたことがあります。

>たにぴ@もまゆきゅさん

おぉ…たにぴさんは、映画にもお詳しいようですねぇ。

黒沢版『椿』のラストシーンの血しぶきのことは知りませんでした。

パッチギ2も、残念ながら、僕は見ていないのですが、

CGを多用しているんですね? それは少々いただけないようですね。

ですが、僕は、バラエティ番組に出たりしてても、

井筒監督の撮る映画は、けっこう見られるものが多いと思うんですよ。

アイドル映画でも、それなりの作品に仕上げてしまう、

底力のある映画監督だと思うので、井筒の『椿』も見たいと思うです。

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