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2007年08月07日

ブログを書くことは、排泄することに似ている。

本日も、お疲れさまです。



また、ここに書くネタに困りました。

「何も書くことがない!」と心の中で焦りながら、

ずっとインターネットを駆使してネタを探していました。



そして、ふっと気付いたのです。

ネタというものは、無くて当たり前なのだと。

モニターの向こうにあるものはすべて自分には関係のないことなのだから、

そこで見つけたものを元にしたところで、

何か書きたい衝動に駆り立てられるがないんですよね。



“書く”という作業は、感情・信念・主義主張といった

自分の中にあるモノを吐き出すことだと思います。



自分の中あるモノを吐き出すには、そのためのエネルギーが必要なのですが、

それに費やすエネルギーと時間が余っていたとしても、

吐き出すモノそのものが無ければ、

吐き出したくても吐き出すことはできないということです。



僕は、自分の中にあるモノを育てていなかった…

だから、何も書くことができないでいるのです。

と、こう考えているうちに、“書く”作業というのは、

まるで排泄するのと似ているなぁと思ったのでした。



美味しいものをたくさん食べれば、その残りカスがおしっこやウンコになって、

身体の外に排出されます。



たとえば、コーンをたくさん食べた後のように、

その人が事前に何を食べ、どのように消化したかによって、

ウンコの質が決まってきます。



便秘の人は、苦しんで苦しんで、少ししか出せなかったり、

胃腸の弱い人は、掴み所のない柔らかいのをしょっちゅう出していたり、

体調の変化の激しい人は、昨日と今日で質に大きな違いがあったり。



そうか。

書くということはウンコをするというのと、ほぼ同じで、

書かれた文章というのはウンコそのものと、ほぼ同じなのだ。たぶん。



ということは、本とは、有名な作家のウンコということになりますね。



で、江國香織のウンコはたくさんの人に好まれる、

いい匂いでおいしいウンコなのでしょう。

そして僕の好きな故・田中小実昌という作家のウンコは、

あまり人に好まれない、臭くて不味いウンコだったに違いありません。



っていうふうに考えると、ブログ全盛のウェブの世界とは、

世界中の人々がひり出したウンコにまみれているということになります。



来年の映画になっちゃう「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」は、

たくさんの人に好まれる、いい匂いでおいしいウンコなんですね。

で、日に数人にしか読んでもらえない僕のウンコは、

臭くて不味いウンコに違いありません。



生活を改善でもして、もう少しいい匂いで美味しいウンコをしたいもんです。



ところで、こう考えていくと、世の読書好きやブログ好きの人たちは、

スカトロ趣味のある人間という結論になりますが、その点はどうですかね?





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コメント (1)

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「臭い」っていうキーワードに引っ掛かったスパムですか(笑)

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