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2007年07月10日

壁際の来栖さん

 来栖さんは、事務所の出入り口の壁際の机に座っていた。

 来栖さんは課の経理や庶務のような仕事を担当する女子社員だ。

 来栖さんはボクがこの支社の営業に赴任する前から、ここで仕事をしていた。

 年齢はよく分からないがボクと同じか、少し年下なのかもしれない。



 彼女には仲のよい女子社員もいないようだった。

 あまり社交的には見えなかった。昼休みはいつもひとりで文庫本を読んでいた。

 他人と雑談する事も殆どなく、自分の仕事をこなしていた。



 彼女は毎朝、課内のみんなにお茶を入れていた。ボクが「ありがとう」と言うと、彼女は水面に広がる波紋のように静かに、少しだけ微笑んだ。



***

 営業部の課長は、なかなかアクの強い人物だった。

 社内の禁煙運動も全く無視して、いつもデスクでハイライトをふかしていた。

彼はあまり部下から好かれるタイプの上司ではなかった。

 彼は毎日、課内の誰かを怒っていた。原因は些細なミスか、場合によってはミスとも言えない事だった。

フロア全体、他の部署にも聞こえるような大声で、彼は部下を罵倒した。

毎日の出来事ではあるが、気が滅入る事だった。



 その日はボクが課長の餌食となった。報告書の表現が気に入らなかったようだ。

 彼は、ボクをデスクに呼びつけ、いつものように罵倒した、ハイライトの煙を吹きかけながら。

どのくらい怒鳴られ続けただろう。突然、課長は激しく咳き込んだ。そして怒鳴る事もできない様子で、彼はボクを席に帰した。

課内のみんなは笑いをかみ殺していた。ボクは開放感とともにぼんやりと課内を見回して、入り口近くの来栖さんに目を止めた。

他のみんなとは違う。彼女は、暗闇を見つめるような目つきで静かに笑っていた。



***

 何日かして、課長はまたボクを呼びつけ怒鳴りだした。ボクはうつむいて反省しているような姿勢で、横目で来栖さんを見ていた。

課長が怒鳴り続けている時、壁の方を向いた来栖さんの手がすっと動いた。その途端、課長はまたも激しく咳き込み始めた。この前と同じだ。

振り返った来栖さんは、静かに笑っていた。ボクは背中に冷たいものを感じた。とても冷たいものを。

 そのうち課長は、くしゃみをしだした。何度も何度も、苦しそうに。

彼の体は少し震えていた。最初、面白そうに見ていた課内の連中も心配そうな目つきで課長を見た。



 ボクはもう我慢できず、来栖さんの方を向いて大声で叫んだ。

「来栖さん、課長の真上の冷房を強くするのをやめてください。」



         担当/この作品はフィクションですが、冷房効きすぎてハクションなARIO

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コメント (3)

このブログで、初めて、次の展開を気にしながらハラハラ読んだ。オチも好き。

ご無沙汰しています。ルパンです。

いつもリアルな展開の話が多かったので、ついついリアル話だと思って見てました。hiroさん同様はまりました。

でも来栖さんのようなひと。。。結構いますよね。

拙い創作に、お褒め(と解釈しているのですが…)の言葉を頂き、有難うございます。

これからも長ーい目で見守って下さい(ー−。−−)

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